サクラしらべ .


 2013年、3月、23日の戸田市道満公園の土手の桜は、黒や茶色の葉が少し混じるが、ここではこれが最大限に満開である。花が最も多く葉が最も少ない、理想の反比例をなした望ましい按配だった。私の生まれ育った浦和からそう遠くないところに、戸田のこの土手がある。

 浦和という土地は戦国時代から江戸時代にかけて、突如大きな発展を遂げた。

その背景にはまず家康公を迎え入れた休憩所「御成御殿」が置かれ、またのちに、同将軍によって平安からある玉蔵院には十石の寺領が寄進されるなどと土地がひいきされたのも、浦和「中山道」がいかに栄えた国道であったかをもの語る。江戸時代に入ると、利根川から水を引く見沼代用水が日本初の閘門式運河として開通し、浦和市場の賑わいを、十返舎一九までもが歌ったのである。

 名高いこの中山道というのは、現在の浦和駅に続く、車の通りの激しい国道に変わったが、今でもその脇には古い、一昔前の街並みの名残が見られる木造建築の和菓子屋、タバコ屋が立ち並ぶ。これが駅に近くにつれて、みるみるうちに背の高いコンクリートのビルディングに姿を変え、近年では浦和で育った私でさえもが驚くほどに、近年開業したデパートとその周辺施設は新しい人衆の行き交う一帯となった。


 私はこの辺りで育ったと言ったが、正しくは一つ離れた駅から、また少し歩く、未だに田んぼや空き地のある田舎が故郷であり、浦和といえば小さいながらも、幼かった頃の私にとっては華やかな繁華街であった。

 特にモダンに感じたのは、中山道沿いの浦和パインズホテルを中心に広がる石畳の小道で、夜になると西欧風の街灯と柳が立ち並ぶその波打った細道は古今を折衷した風情があった。春夜であればなおのことで、玉蔵院の閉じられた門から枝垂れ桜がこぼれ出て、石畳には花弁が広がり、街灯に照らされて汚れのない雪のように美しかった。


 

 戸田の桜に話を戻すと、花見は3月の3週目のこれより早いのも遅いのもダメで、何故なら道満公園の桜はどうしても土手の上の近距離から見下ろすため、近眼でない限り、千鳥ヶ淵のように桜がカリフラワーの芽のごとく、膨らんでは見えることはない。...それは、支給されるミットで、ヨコ流れする玉から自主的に身を守れと言わんばかりに危険覚悟の上の野球ドームの最前列のように、こちらがお願いする以上によほどマクロな光景、カープ戦のあのときは、確か三塁手の毛穴や汗のポロポロする様まで目に飛び込んできてよもや野球ではない何かに気を取られたが、土手の桜もまた同じように、近すぎてもいけなかった。浦和に10年以上も住んでいた当時は心得ていたので、半端な近距離でもカリフラワーに最も近い状態の桜並木を臨める、時期と場所に訪れることをおすすめできる。

 六年以上も前に、ここで高校の同級生と二人で花見をした。土手のふもとで待ち合わせし、その二段目の、露に濡れていない芝生の一帯を見つけて並んで腰掛けた。

 その人は秋ごろに初めて立ち話をした別のクラスの生徒で、それから一ヶ月後の私の誕生日に、またふらーと寄ってきて「あの...。」とにこやかに言いながらピンクの模様の入った、見覚えのある白いツルツルした横長の封筒を渡してきたかと思うと、ニコニコしながらまたどこかへ行った。全身が色白で、背が高く、細い目は常に笑っているのがあまりに上品なので、宮家の誰かだと言われても全く驚かない面持ちは優雅なのだが、猛烈に謙虚というか、丁寧すぎる態度に、その公家っぽさはたちまちかき消されてしまう。

 封筒を開けたら、30万円分の図書カードが入っていた。最初に頭をよぎった、五分も話したことのない高校生から頂くにはいかがかな、という妙な負荷は、それ以上の感動と嬉しさにかき消されて、早速その日のうちに全額使いきった。確か、安部公房の『砂の女』がもう一冊欲しかったのでそれとか、獅子文六のものなどを買った。

 以来、図書カードは私にとって妙にくすぐったい存在になってしまって、バレンタイン仕様に包装されたチョコレートを自分に買うことが不適切な感じがするように、メッセージ性を帯びた。お小遣いに厳しい親が本を買うならばと、わざわざ現金ではなく図書カードを買って渡してくれるのを、こっそり再び換金していたのが、それ以降、神聖な図書カード相手にはこれもできなくなった。

 三ヶ月以上も経ったある日、その人から一緒にお花見しないかという誘いがあった時は相変わらずどんな人物か全くわからなかったけれど、それでも、30万円の図書カードという渋い贈り物に少なからず心動かされていたので、喜んで行くことにした。

 一時間程の花見が終わって、そのまま二人は自転車の停められたところまで行って別れた。それ以来、会っていない。

 高校は卒業し、大学のある神奈川の海の方に独り暮らしが決まっていた。もうしばらくはここの花を見ることはないだろうなと考えながら家に向かって自転車を漕いでいたが(そういえば一枚の写真も取っていなかった)と気づいて慌てて引き返しカメラに収めたのが、このカリフラワーの芽のように満開な、私の故郷の桜である。


りさこ。