タイ旅行と谷崎。


   「バンコク/Bangkok」という都市名に無類のかっこよさを感じるのは、きっと響きにアジア感と西欧感が折衷されているからだと思った。”Bang”も”kok”も分節するばれっきとした英単語の発音として存在するのに、これを合体させるだけで途端にアジアっ気を帯びる。BeijingやTokyo、Bali、Taiwanとは違った耳触りだった。母音の発音の仕方の問題かもしれない。

 それはさておき、タイの摩訶不思議な折衷感に限れば決してこれは妄言ではなく、

タイに蓄積された文化はあらゆる次元で、タイ独自の「取捨選択」の上に成り立っていると感じるところがある。面白いのは、タイという国がそのように、これまで、その文化の醸成に選んだ、材料や方法である。


 異質文化の流入が結果その国の文化に寄与した例なんてくさるほどあり、それだけでは取るに足らない、ありふれた現象だ。日本では渡来人が伝播した稲作に始まり、カレーうどんにまで無限にその汎用感、「そういう異文化混合は日本の、あるいは一国の観光産業的な付加価値には全然なりませんから」と先日爆笑しながら言い切ったのは、日本の指定文化財の保存及び復元模造を請け負う小西美術工藝社・代表取締役社長のデビット・アトキンソン氏である。....日本人ではない彼が、日本伝統工藝の復興に携わっている上でのこの発言なので妙な説得力があった。

 氏の発言を解釈させてもらうと、文化の混合なんて神聖ローマ帝国の時代から無数に行われており、着目すべきは、その方法や事後。というわけで比較しよう。イギリスは文化の並行発展を認めない。取り入れることには取り入れるが、いらなくなったほうを根絶したがるのは、イギリスの教会を例にわかる、とデービットさんは言う。この点日本は、すごい。色んな文化を取り込んで、古いものを淘汰することなく共存させるケースがしばしば見られる。政治では過去に朝廷と幕府、無論ファッション分野もそうである。中国史が好きな私は、清朝終焉とともに廃止されたあのラーメンマン風の頭髪や様々な服飾文化が頭をよぎった(山内智恵美『20 世紀漢民族と靴文化の関係 ―1930 年代の女性の履物を中心に―』 。)

 優れた異質を現存するものと置き換えることなく並行させるところにこそ、日本文化の魅力がありますよ、アトキンソンさんは嬉しそうに、手を空中でニギニギと動かしながら話した。二条城を拝観する際の注意を熱く語るこの、でこぼこのたくましい横顔の向く先では、敬服に満ちた面持ちで初老の日本人が、ほおー、と頷くのだ。

 脱線したが、つまり、タイも例外なく文化配合が行われているが、その特徴は斯様な方法的視座から見据えるべきで、そうすることで、なんとなく感じるかっこよさの秘密に近づけるかもしれない。

 というわけで、タイ国近代史の特徴を簡単に見ていくと、特筆すべきは他国が植民地支配を受けていた最中に、当時東南アジアでは有数の独立を保った国家であるが、それはイギリスとフランスの間で緩衝地帯化されたかららしい。イギリスはタイ国王に通じ間接的に支配を行おうと試みたのは、「王様と私」というブロードウェイミュージカルにもなった。今年(2016年)の三月にこの演目をニューヨークで観たとき、中立国の立場を守ろうとするケン・ワタナベ演じる国王は、イギリスからしょっちゅう、同盟を催促する手紙を受けていたので「逆にどうしてタイは無理やり制圧されないんだ?」と思った。理由は弛緩地域であったという他、タイは海上貿易に手を抜かなかったという背景がある。西欧に匹敵する規模ではないが少なくとも鎖国したり、内政が乱れまくることはなかった。

 あとは言語だが、ミュージカルの知識から「半世紀以上も前に英語教師がタイに渡っているのなら今頃英語が浸透しているだろう」という憶測のもと、「ありがとう」の文句もわからないままバンコクに降り立ったが、着いて早々タクシー運転手さんに「?」とわからない顔で走り去られたので、タイ人が嬉しそうに英語を学ぶ、あの脚本はまったくのでたらめだと悟った。それでいいのだ。

  きっとタイの人はのんびり屋さんで、周囲の価値観に振り回されない、平和主義的立場。しかし、自発的に対外貿易にコミットし、19世紀には政尾藤吉という日本人がタイの刑法の基礎作りに貢献したと言われているくらい、政治の近代化を他国からしっかり学ぶような「異文化は取捨選択しよう」というような積極的な自主性があったと考えられる。あとは、海上、水が好きなのか。

 そんなタイの現地ではどんな異文化配合の沿革が形として残ったのか。訪れたばかりの私の目線で綴ったのが、下記の旅行記である。

 初日から体験する水上移動が新鮮だった。移動はスピード第一、という概念に囚われないからこそ発展したボート移動、運河を行き交うたくさんの船着場を目の当たりにした。有名な水上マーケットもそこから派生する。ショッピングモールの港「アジアティーク」からは、鉄道が頭上を走るような街中の船着場に10分に一度運航している。無料というのもあり夜はパンパンに人が乗り込んだ、某テーマパークの「ジャングルクルーズ風」なその船は、15分程かけて目と鼻の先の港に到着する。性転換した「オカマ」さん達のショーの動きは少しバラバラなのだが、同じだらっとしたダンサーでも、ある演目によっては非常な張り切りをみせるので、まるで小学生の学芸会のように分かりやすかった。また、完全な女性体もいれば、胸元ははち切れんばかりに重そうなのに、臀部がかちこちに骨ばっており強そうな「娘」もいる。女性離れした躍動感でその胸はぶんぶん振り回され、中身がぽこん、と飛んでいかないか心配になったが、こういう「矛盾」も彼女らは一向に気にかけ無いようだった。


 この劇場のあるアジアティークは、ほとんど2,3坪の露店の集合体で、あとは小さな遊園地が併設されており、観覧車もあった。遠くから観てもその観覧車は異様で、何故なら回るスピードがかなり早く、数分するとピタっと止まるのだ。受付に聞くと、三回まわって二百バーツだよ、とのことだった。翌日乗った友達は五回転したと言っていたので、ここもどうやら場合に応じて適当らしかった。


 迎えた二日目の夜は噂に聞くタイの歓楽街を訪れたが、カウサン地区に散らばるピンクの細道はいろいろある。ナナやソイカウボーイ、私は後者を歩いた。実際は広い通りなのだが、テラス席からはみ出て客をとる娼婦が、血管を滞らせる脂肪のように道を塞ぎ、そのおかげで困ったように悠長な足取りで、しかしあちこち観察しながらジリジリ進む。どれも外観は似たり寄ったりで、ならば順番観ていこうに行こうと、男女混合の友人らとまずは端の「CRAZYHOUSE」とかいう言う、通称「ゴーゴーバー」と呼ばれる裸の現地女性が接客してくれるというバーに入った。そこはドアもなく、警備員らしい店員が二人、音漏れする入り口の前に座り、飲食の持ち込みを規制しているだけだった。入場料も無い。女性も臆せず入っていく。スキマの奥では人影がごちゃごちゃに盛り上がって、驚くほど繁盛している。重たいカーテンを二枚めくると赤、ピンク、紫色の照明が、店全体に広がるお立ち台に乗った裸体にめらめらと色を変え、忙しく這っていた。二十坪以上はある。元気に動く娘もいれば、キョロキョロするだけの娘もおり、お立ち台にはきゅうきゅう詰めに、ざっと三十人以上はいた。ひしめく地上は、半分くらいが娘の裸で、ペタペタとみんな人の間を縫って歩き回り、時折売春の誘いを断られては、客に乳首をつままれたり、腰をはたかれたりしていた。ある娘は白髪の肥えた欧米人客のジーンズの膝に後ろから抱えられるようにして乗っていたが、イキナリ何かを指差して怒号を上げていた。男は笑っていた。理由を知ろうとしないのは、まるで犬の目にしか見えない何かに吠える犬をあやす飼い主のようで、二者はとてもちぐはぐなのに、既存の絵面にちゃんと収まった不気味な構図だった。爆竹のような音が頭上からした。驚いた事に天井は厚く、透明な素材が張られた仕切りで、その上を移動する裸を、有り得無い角度から眺めることになる。

 音の来る二階に上がると、低い鉄作が、格闘リングのように中央据えられているのが、客や小さな裸密集の隙間からわずかに見えた。先に上にいた友人が音楽に負けない大きな声で「さっきまではあそこで、女の人二人がアソコに吹き矢を入れて、浮いている風船を割ってたんですよ」また戻ってきますよ、と怒鳴った。五分後、四畳ほどの柵に戻った女は、揃って小太りで背が低く、茶髪の五十歳前後の二人組みだった。やはり当たり前のように裸で、ビキニとパンツは紐状にまとめて手首に巻いている。二人は対角に位置を決めたかと思うと、肘くらいの高さの柵の一部に、腰周りほどの足を重そうに持ち上げ、引っ掛けた。その付け根は捻られて紙袋みたいにみちみちと皺が寄った。不恰好なバレリーナの練習みたいな格好のまま、持っていた1ダース半くらいのタバコに一気に火をつけて、煙の上がったそれを陰部にねじ込んだ。

 始終、事は静かに運んで、観覧も当人らもぼーっとしたまま、歌詞の無い音楽だけが聞こえるのだが、それがなかったらと思うとぞっとするくらい、沈着した場だった。欧米人のカップルが現地のビールを手に、最前列でこれを見ていたが、飽きたと見えて、その場を抜けて話しながらどこかへ行った。その空いた空間が目の前に出来、芸を終えた二人の初老の女がチップをくれと小走りで周り始め、こちらに手が伸びたので100バーツずつ渡した。いなくなると、同様にビキニを身体のどこかに巻いた、今度は若い女が柵に流れ込んできて、ただゆらゆら動くだけになった。そこで、皆店を後にした。働く女の表情はバラバラで、水商売独特の自分を納得させた理屈を孕んだような薄笑いもあるし、その先の狂気も感じられ、一方では倦怠で顔も身体もぐったりとしている者もいた。

 日本の水商売でも、これは見た。スナックで見た。六本木のガールズバーの呼び込み、飛田新地の軒先、西麻布屈指のラウンジ、銀座のクラブ...。性が直接的だろうが間接的だろうが彼女らの反応に大差はない。ベクトルは同じの似通った縮図、陰部から風船に狙いを定めていようが、銀座でロールスロイスに乗り込む会長に友禅の訪問着をまとって手を振っていようが、随分近しいものに思える。それらを取り囲む社会が、異なる次元に見えるそれらを、結局は同じ次元で容認しているとだとすれば、それだけで同胞に思えた。

 じゃ、キャバクラ嬢・姫華ちゃんと、銀座ナンバーワン真弓さんが陰部でタバコを吹かすのかよ、とそういうことではない。ハタから見ていて同じ顔つきだから、勝手に心情も同じようなところなんじゃないか、という憶測である。仮にそうであるとすれば、それは周辺環境が彼女らをどう扱うか、というところの差、つまりは社会別に練られた価値観、文化の違いに含まれるのだと感じられる。例えば、友人の話によるとバリ島で風俗店に勤めることについては、秀麗な見た目と高収入の証として現地の女性達は鼻高々らしい。でも、日本の吉原のナンバーワン・花魁の文化を振り返れば、何ら不思議ではない。

 現代の日本でも、ホステスに比べて、男性ホストは憧れの職業と言わんばかりに顔写真や名前の入った広告バスが都内を走ったり、本人が一生懸命SNS宣伝したり、性交渉を公言したりまでする。芸能人級の扱い、張り切りなのは男性に限ったことで、ホステス嬢が同じように表立つ事が少ないのは、一方でタイとは異なった、日本の社会が女性に課す貞操の「価値」なのである。

 だから水商売の持つ色彩には生命が宿っているように思えて、興味深い。それはまるで、黒く、厳しい楽茶碗には沈殿した抹茶が一層映えるように、暗い夜の街に浮かび上がる赤や紫はいわば人間商店、人間広告の界隈に染み付いた血や痣の色のようで、限りなくその場に相応しく、整然としている。各国の建築や遺跡の色彩はあれほど様々なのに、水商売の色がこれほどまでに統一して赤や紫に表現されるのは、そこに興奮が喚起されるのは、救心される欲求がそうであるのと同様、人間を組成する、その血や肉に近い色だからだろうか。果たしてタイもこの色調が大好きなのだろう。

 英語教育そっちのけのオカマ達は自己表現に奔走した、領土拡大には尽力することなく性歓楽街を栄えさせた、タイ。時間対効率に目覚ましさは無い。その分、土地柄を生かした船が川肌を滑り、バイクと軽自動車を掛け合わせたような乗り物は風情を漂わせながら、とことこ、走っている。今思えば名物の像の乗り物だって、人間が駆け足で人力車を引きまわしている日本と比べたら、非常な悠長さの現れではないか。

 タイ国民が大事にしようと選んだ価値観を文化になぞらえて観察できたことがとても楽しかった。 日本も素直なのが良くてここまで発展したが、ここへきて、周りが必死に大事だと説得してくる英語や核兵器やスピードを束の間忘れて、日本独自の価値観を今一度育んでいいのかもしれない。おおよそ不幸とは、質素ではなく、飽き足らないことである。

 日本が生んだ、そう、侘びやら寂びは何処へやら。つまりは、谷崎潤一郎の陰翳礼讃を今こそもう一度読むべしと心に決めた、タイ旅行だった。


りさこ。